こんにちは ツナカンです。
ふだんは教育支援センター(適応指導教室)で
カウンセラーをしています。
お子さんたちは
適応指導教室にくることがあたりまえになると
安心できるようになってきます。
すると
学校にもどらないといけないんですか?
もう学校には行きたくないのに。
そういう子もいます。
そんな風にきかれると
学校よりも適応指導教室に来ていて
高校に行っている子もいるしなぁ…
と思うことがしばしばです。
そもそも,なぜ “テキオウシドウキョウシツ” なのでしょうか。
なにに ″テキオウ” できるようにすれば良いのでしょうか。
今回は,
適応指導教室はなにに“テキオウ”させるべきか
について
わたしが考えたことをお伝えします。
ちょっとむずかしい話になるかもしれませんが
不登校を考えるうえでも大きなポイントになると思います。
【もはや時代おくれ】“適応指導”教室
結論からいいましょう。
今の適応指導教室の “テキオウシドウ” は
子どもを学校にもどすため
のものです。
文部科学省では
としています。
一方で
教育支援センター(適応指導教室)整備指針(2019)
と,
ここでは
社会的自立
というキーワードも出ています。
なんだかコムズカシイことばですが
つまり,
「学校をふくめた“社会”に適応できるように指導してくださいよ」
というように読みとれます。
社会的自立をどうとらえるか
社会的自立とは
としています。
すごくカンタンにいうと
一生みんなと仲良くやっていくチカラ
ということになるでしょう。
そこには
- 他人と協力すること
- 経済的なこと
- 問題が解決できること
- 生きる知恵があること(困ったときにたよる人や資源など)
などの意味がふくまれています。
他人と仲良くやれれば,それでいいじゃん
そう考える人もいますが
そうシンプルにわりきれないものがあります。
では,子どもにとっての社会とは
なんなのでしょうか?
わたしはこう考えます。
- 学校
- 地域
- ネット世界
一昔前までであれば
子どもにとっての社会は学校なんだから
学校に行かせることはアタリマエだろう
そういうリクツが説得力をもったのかもしれませんが
実は,そんなこともないわけです。
学校にいかなくても,地域でうまくやっている子はいるし
最近であれば,コミュニケーションの場として
ネットはどんどん広がっているのです。
でも,
「昼間,子どもは学校に行っているべきもの」
「昼間に学校に行っていないということは異常」
という考え方にはある意味,正しいところもあります。
なぜなら
- 子どもには生活力・判断力が十分ではない
- 学力は外から見えない
からです。
一人前に生活するためには
家事をこなすだけではなく
お金がかせげるようにならなければなりません。
そうではない子が,日中に家にいるのは
親ごさんにとっては心配のタネですよね。
また学校に行けていないことは,虐待をうたがうときの
ポイントの一つにもなっています。
家でオンラインとか家庭教師とかやってるし
という家庭もあるかもしれませんが
外からそれはわかりません。
ですから,周囲からは
あの子,このままで大丈夫なのかな…
と心配されてしまうのです。
ネットで友だちとつながってるし
ネットで新しい友だちもできたよ。
そのとおり,ネットの世界も
子どもにとっての居場所であり,だいじな社会だと思いますが
まだまだ,それは多くの人に認められてはいません。
数年くらいたてば
メタバース(仮想空間)がどんどん広がって
リアルとの境界もあいまいになってくるでしょう。
やがて多くの人にわかってもらえるようになる時代が来ると予想します。
でも,今はまだまだその時代ではないのです。
カンバンとリアルのずれはなぜ起きるのか
目標(カンバン)としては
適応指導教室は
学校をふくめた社会に適応できるようにしてください
ということではあるのですが
じっさいには
学校にもどれるようになることが第一の目標
になっています。
設置は教育委員会がメインになっているので
それもやむをえないのかもしれませんが
社会的に自立できれば良いのであれば
学校にもどる以外のチョイスがあっても良いはず。
たとえば
適応指導教室にいながら
オンラインで勉強してもよいはずです。
どうしてなかなかそうならないのか…
それはこんなことが考えられます。
- 文部科学省の方針
- 退職した教員がスタッフになっていることが多い
- オンラインで学ぶ環境が整っていない
- 不登校の子をひろいきれない学校の状況
①文部科学省の方針
先にあげたように,文部科学省は
適応指導教室を「学校に適応できるように指導する場」と
定めているからです。
学校を自立するための“訓練の場”としてだけとらえるのであれば
マトはずれではないかもしれません。
しかし,学校は子どもたちの“居場所”でもあります。
学校のなかに居場所をうしなって
適応指導教室にきているような子であれば
居場所のない学校にムリにもどそうとすることは
子どもの気もちとはズレがあることになります。
②退職した教員がスタッフになっていることが多い
もちろん,人によってちがいはありますが
やはり先生をされてきた方からすると
子どもが学校にいないことのリスクを知っています。
多くのスタッフはその子に応じていますが
子どもが学校に行けるようになることが
大切だという価値観を強く持っている方はいます。
それが言葉のハシバシに出てしまうことがあります。
③オンラインで学ぶ環境がととのっていない
新型コロナのまん延をきっかけに
日本でもオンライン授業ができるようになってきました。
しかし,学校が再開されると
また元にもどってしまった感があります。
オンラインの良さもあったけど
ネットではないものの良さも見なおされたのと
オンライン授業を続けるための環境つくりが
おいついていないからだと思われます。
オンラインで授業をするには
単に授業をネットで放送すればよいわけではなく
授業の質がおちないように,作りなおさなければなりません。
またネットの環境も,地域や家,適応指導教室によってもちがいます。
こうしたことがネックになっているのが現状です。
だから,適応指導教室でネット学習が進まないのです。
④不登校の子をカバーしきれない学校の状況
ほかの記事でもご紹介しましたが
日本の先生は,先進国のなかでも
もっとも忙しいと言われています。
不登校のお子さんに対応するにも
残業や,空き時間を使ってなんとかやりくりしています。
そんな状況ですから
どんな形でもいいから,できれば学校に来てほしい
というのが先生のホンネだと思います。
だから,適応指導教室はできるだけ
学校に行くことをススメることになります。
学校に適応しなくていい
どうしても学校に行かなきゃいけない!?
いえ、どうしてもイヤならば
適応指導教室で卒業しても良いのです。
ただ,わたしの意見をいうと
「学校に行けなかった」というザセツ感を
ひきずって卒業するくらいならば
「これはできたぞ!」という達成感をおみやげに
卒業することをおススメします。
それがなんなのかは,人それぞれです。
それをいっしょに考えるのが
わたしたちのような適応指導教室のスタッフです。
学校に適応しなくてもいい
これから社会で生きていけるようになるために
お子さんそれぞれがもっている
価値や達成感に適応できれば良い と考えています。
まとめ
今回は適応指導教室の
「テキオウシドウ」について
わたしなりの意見をお伝えしました。
適応指導教室はどうしても
学校に適応させようとしがちですが
適応すべきなのは
それぞれが持つ価値観や達成感です。
今,学校にいけずに悩んでいる子や親ごさん
適応指導教室をうまくつかって
笑える卒業式をむかえられるように
応援しています。
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